あたまに花をさかせる

楽しかったことを書く

パライソが中止になって悲しい

パライソが中止になってしまったので、めぇええええぇっちゃ!!!!!!かなしい!!!悲嘆に暮れている。

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~静かの海のパライソ~の東京凱旋公演とライブビューイングとLIVE配信とBlu-ray&DVDの予約販売が中止になりました。かなしい。
musical-toukenranbu.jp

チケットを持っていた神戸公演も中止になっていて、そのときは、こんなに悲しく思わなかった。しょうがないなあ、って飲み込めたんですよ。かなしいけど、しょうがないなあ、って。でも、今回はもうほんとに心がしゅんとするくらい悲しみに満ち溢れているので、どうしたものかと思って、筆をとっています。とてもかなしい。

なんでこんなにかなしいのかなあ、と考えながら書いているんですけど、たぶん、LIVE配信は見られるかもしれないって期待してたからですね。わたしにとっては、ストーリーを体験するということが一番楽しい事柄なので、そりゃあ生で見られるのが一番いいんだけど、LIVE配信とかで音声と映像で体験できるなら、8割くらいはこころが慰められるだろうなと思ってた。でも、もう見られないんですよ。はっきりとした断絶!物語とわたしの間に深い溝ができてしまった!!そしてわたしはその暗い溝を見つめて、あらまぁあらまぁどうしたものやらって呆然としているわけですね。

まず、考えないといけないのは、このやってきたかなしさをどうするかですよ。例えて言うなら、突然、腕の中に、泣きながら女の子が飛び込んできたぞ!という状況なので、この子をどうしてあげるかということですね。
とりあえず、よしよし悲しかったねーと受け止めるのが最優先。そのために、かなしいぞ、という気持ちをまずかみしめる。よし、わたしは悲しい、泣いちゃいそうだ。よし、なにも我慢することはない。泣こう。めそめそ。よし。かなしんでいるぞという現実を、受け止めました。よし。
悲しんでいる私、よし、と確認できたので、次は、どう折り合いをつければ、日常生活をやっていけるのかしら、って考えます。私は悲しんでていいんですけど(なぜならかなしいからです)それはそれとして日常生活は、やっていかないといけないので、悲しみつつ、どう考えたら、悲しさであたまがいっぱいにならないかという手段を講じます。
そうですね、理不尽な現実に対して怒りを燃やすってのはどうですかね。悪くない。怒ると健康に悪いけどともかく力はわきます。あとは「みんな我慢しているのでひとりじゃない、仲間がいるぞ」と諦念でつながるのもぜんぜんわるくないですね。勝手に仲間にしまって申し訳ないけど、わたしの頭の中だけのことなのでご寛恕いただくことにします。

それから、いろいろ考えて「でも、パライソの幕は開いた」と思うことにしました。そう考えるとちょっと心がわくわくしたからです。
これ、逆に悲しいひともいると思うから、万能薬じゃなくて申し訳ない。あと、わたしも、自分がこう考えるとわくわくすることに、今、気がついたのでやや戸惑ってる。3月21日から26日に観劇できた人、すっごく羨ましいなあ!いいなあ!という燃えるような気持ちもある。
でも、舞台って観劇されてはじめて存在が確定するじゃないですか。そしてわたしは鶴丸が好きです。だから、観劇した人がいるおかげで、「パライソの鶴丸」がちゃんと存在できたっていう事実はすごく私にとって救いだなあって思いました。見れなくて悲しい、でも、いなかったわけじゃないならよかった。

パライソの感想、たくさん見たいな。あんまり見かけない気がするな。見に行った人が少ないからかな?中止が決定したから、これから増えるかもしれないな。それはちょっと楽しみだな。だれかの頭を通した感想って自分じゃ見れないものが見れるからだいすきです。