あたまに花をさかせる

楽しかったことを書く

R1.10.4 刀ミュ「葵咲本紀」を見て考えたこと

2019年10月4日 夜の部 北九州ソレイユホール
ミュージカル刀剣乱舞「葵咲本紀」

 もうすでにふたつ感想を書いているんですけど、福岡で見て新たなときめきがあったのでまた書きます。ネタバレします。

 

・篭手切江の夢と先輩の夢について

 篭手切江が冒頭で歌って踊る楽しい曲は、あれは、篭手切江が将来的にはこうなりたいって夢見ている妄想であり目標ですよね。だから、曲の最後に篭手切江だけおいていかれちゃうし、扉もしまってしまう。でも、篭手切江はそれが夢であることをべつに悲しんでなくて、むしろ微笑んでるし、胸の高鳴りはやんでないから歌詞で「とくんとくん」って歌っていると思うんです。なので、篭手切江は自分が今、現実にはステージに立っていないってことを理解している、目標との距離をちゃんと掴んで、遠くても一歩ずつ進んで行ける子なんだなということが示唆されている気がします。夢と現実を両方しっかり見られるタイプのリアリストでいらっしゃる。明石に、「人間じゃないんだから」って言ったのもそうなんですけど、篭手切江すごい現実的なのに夢を見ることを忘れないからすごい強いなと思います。心が強い。

 で、一方の先輩なんですけど、先輩が呼応している秀康さんは「許すまじ徳川家康」なので、徳川家康を絶対に許さない!っていう気持ちが一番じゃないですか。だから、秀康さんは天下をとりたいっていう気持ちよりも兄をうばった徳川家康を許さないって気持ちのほうが強いし「許すまじ恨みつらみ、忘れまじ不倶戴天」て歌詞が繰り返されているから、天下がほしいからとるっていうより、家康を倒すってことは結果として天下も取れるってことなのかなーその気持に先輩が呼応しちゃったのかなあ、って思いました。天下をとってやるぜーって歌ではないですもんね。

 先輩と秀康さんのコンビは手の中にあったものが不当に奪われてるって妄執に取り憑かれてしまっているので、自分がどこにいるのか、何がほしいのか、本当はどうしたらいいのかがわかんなくなっちゃてるんですよね。なによりまずいのが、「許すまじ恨みつらみ」「許すまじ」「忘れまじ不倶戴天」「忘れまじ」って二人で絡み合うように恨みを補強しあっているので、混沌具合に拍車がかかっていっちゃうことですね。

 なので、最後に篭手切江が先輩を説得するときには、許すまじの歌に、篭手切の夢を見る歌を絡めて妄執を解きほぐしてあげつつ、先輩に、それ手の中にないです!って訴えかけているのではと思いました。「夢見るのは眩しいまほろーば、いつかいつの日か」って歌ってた気がするので、夢っていうのはいつかたどり着く素晴らしい場所(まほろば)なので、夢を見るには、自分の立ち位置と目標物である夢とその間の距離をぜんぶ見なきゃいけない。篭手切がみてる夢はまほろばで、先輩が見てる夢は妄執っていう対比が好きです。まぼろしって歌ってたら前提がくずれるんですけど、まほろばって聞こえたので自分の耳を信じたい。「泣いてもいいです、嘆いてもかまわない、だけど、ただ見失わないで」って歌詞があった気がするんですけど、しっかり見てー!目を覚ましてー!妄執に飲み込まれないでー!って訴えかけ、その上で「ともに夢を見ましょう」だし、「その篭手もらいます」って手をとってあげられる篭手切江はやっぱり強い刀だと思いました。

 で、先輩を説得するためには、絡み合っているもう片方の恨みである秀康さんの手だって誰かがとってあげなきゃいけないわけで、その担い手として、三日月が準備して鶴丸が送り出し御手杵が送り届けた貞愛が必要なわけで、連携プレーの妙!ってしみじみ味わっています。

 

鶴丸国永の手短な作戦について

 驚けよ俺の作戦驚かーせーてやるぜ♪って聞こえたんですけど短いセンテンスに驚きをもりこみすぎな気がするのでたぶん覚え間違えてるんだと思います。はやく確認したいので早急に円盤が必要。それはともかく、「いいか、俺達はひじょーにむずかしい状況にある」と鶴丸が言っていた非常に難しい状況って言うのは、ひとつめは歴史の異物がひとところに固まっているので検非違使がくること、ふたつめは結城秀康が正気を失っていること、みっつめは先輩のことかなと思ってて、みんなで戦いたいけど、固まっていると検非違使がくるから、ひとつめの問題を鶴丸がひきうけている間に、ふたつめとみっつめの問題を解決してもらう作戦ですよね、たぶんね。

 で、みっつめの問題については篭手切江に頼んで、「あとは、信康…じゃなくて、ごへいと貞愛とあとはもうひとりくらいで、ばーんてやってどーんってやって任務完了だ!」って言ってた気がするので、ふたつめの問題を信康と貞愛ともうひとりくらいに頼んでるんですけど、このもうひとりって結局誰ががんばったんだ?御手杵か?明石か?秀康を説得する貞愛を守ったのは御手杵だから御手杵かなあ。

 で、ここで鶴丸が名指しで作戦を任せているのは、審神者に事前に出陣の命令を受けて「わたしにしかできないこと」「やるしかない」って言っていた篭手切江と、三日月から秀康を助けるように言われて行動している信康と貞愛なので、一応、ばーんとやってどーんでもちゃんと伝わる面々を選んでるんですよね。その三人を基軸にして、あとは流れでフォローつつうまい具合にお願いしますって作戦だったので、手短のわりにちゃんと機能する作戦だなあって思いました。「優先すべきは結城秀康を正気にもどすこと」って最優先事項も伝えてるし、鶴丸国永はやはりできる刀剣男士ですよ(贔屓目)

 手短に作戦を伝える歌の「このままーじゃ歴史が変わるからーな♪」の「ら」の歌い方が好き。

 

鶴丸と篭手切江は審神者になにをどこまで伝えられていたのか

 「蜻蛉切と村正が別の任務を遂行中です」「合流してください」って審神者が言っていたから、鶴丸、明石、御手杵、篭手切江は、蜻蛉切、村正とは別の任務をうけて出陣してきてるはずなんですけど、結局なんの任務を受けてたのが明確になっていない気がする。面倒ごとを頼まれると察した鶴丸がちょっとやだなーって顔したのがとてもかわいかったので、わかんないままでもいいんですけど、たぶん、先輩と結城秀康をなんとかするって任務ですよね。ばーんとやってどーんで任務完了なので。

 「鶴丸、奥へ」って審神者に任務をまかされたであろう鶴丸と、「出陣、ですか?」って直接出陣を命じられたっぽい篭手切江がどこまで伝えられていたのかが気になるところです。鶴丸は「必要なものはあいつが用意してくれてる」とか言いながら三日月宗近という機能を手短な作戦に織り込んでいたけど、あれは鶴丸が驚異の察知能力ですべてを察しただけなので、三日月がなんかしてるってことは伝えられてないはず。鶴丸が「俺をいちばん退屈させないのは(驚かせてくれるのは、だったかもしれない)、きみだ」って言ってた「きみ」って誰だよ、問題にもつながってくるんですけど、暗躍してる三日月なのか、三日月という機能を伏せていた審神者なのかも気になっちゃう。

 篭手切江が、「わたしにしかできない」って言ってたのは、刀剣男士としてってことなのか、もっと踏み込んで、江であるわたしにしかできないってことなのかで、先輩が恨みつらみに呼応してタタリ神みたいになってるのでなんとかしてきてって説明されているのかどうかがわかる気がしないでもない。刀剣男士としてって意味なら、歴史改変を防ぐのは刀剣男士であるわたしにしかできないって意味にも取れますのでね。ここはライビュを見るときにしっかり考えてみたい課題です。

 

・明石がたいへん人間味あふれている上に優しいというおはなし

 篭手切くんの眩しさにあてられて心の扉をちょっと開いた明石がとても人間で魅力的。遡行軍を殺すときに罪悪感を覚えちゃうので逆に心を閉ざしている明石ってすごく人間みたい。新参者やさかいよろしゅうって言ってたのにそんな短い期間になにがあったのか。篭手切くんに「手が柔らかい」って意地悪なこといったのなんでかなあってずっと疑問に思ってます。いくつか仮説はあるけど、篭手切くんが眩しすぎるのでちょっと嫌味言いたかった説をとりあえず採用してます。ただ鶴丸に速攻で「やわらかい手」ブーメランをなげられていたの、とても隙があってかわいいですね。明石と篭手切は新規参入の刀だから手が使い込まれてないという見方もできますし、刀的な意味で実践刀じゃないから性質として手が柔らかいのかを考えるとずっと妄想していられて楽しいです。

 明石は、理由は判然としませんが、差をつけるのをすごく嫌っているので、全部助けるか、全部助けないかの二択しかとれなくて、全部救うのは無理だから、全部助けないって道をつきすすんでるんですよね。

 だから、先輩を特別扱いして助けるということは、今まで折ってきた遡行軍の価値を低いものだと確定させることになり、明石の心の安寧のためには、平等にたたき折るのが正解なのですが、あそこで傷を負う覚悟で篭手切に先輩を手渡した明石の葛藤たるやいくばくか、と思います。

 篭手切くんの強さ、眩しさ、真っ直ぐさのきらめきはもちろん魅力的ですけど、明石の矛盾、揺れ動く心、人間っぽい弱さといってもいい部分もまたたいへん魅力的です。色気があるよね。

 怪我した篭手切くんを守るために、利き腕の左腕を犠牲にしたところ、篭手切くんが先輩を説得するために刀を手に持って頑張っているときに、刀を左手に持ち替えて、いつでもフォローできるように見守っていたところ、たいへんに優しくて好きです。明石、真剣必殺のときしか利き腕つかわないのに、篭手切くんのために、ちょっと本気だしてくれてるの優しい。

 

・遡行軍と刀剣男士の違いについて

 むすはじで巴形薙刀が向き合っていた問題が再浮上してきた。むすはじでは、刀剣男士は物語を持っていて、遡行軍はもっていない。では、物語をもった遡行軍は刀剣男士と同じものではないか?みたいな課題に巴形薙刀があの真摯さ無垢さで向き合って最終的に、お互いを認めあった上で対立するよって道を選んでた気がするんですけど、この文脈を受け継いでるのが篭手切くんですよね。「違いはない」って言い切る強さよ。

 

・福岡公演を観て気がついたこと

 神戸公演とちがって刀剣男士が二部で座席の前には降りてこない。一段低いステージがくんであってそこにおりてきてた。神戸公演で最前席の前で踊っていた部分は、一段低いステージがメインステージより両側に長くつくってあって、その長いところで踊ってた。そのため、わたしは今回センターブロック中央付近でしたが、踊りがちゃんと見えましてたいへんに得をしたなと思いました。

 あと、舞台がちょっと広い気がした。そのせいか、村正が検非違使と不思議な力で戦っているときに、鶴丸が、階段の上の方と真ん中の方をうろうろして、助太刀する隙を伺っているのですが割って入れる状況じゃないんですよーといった雰囲気をだしてたいへんよかった。大阪公演と神戸公演ではたんにしっかり見えてなかっただけかもしれないんですけど、検非違使と村正が戦っている場面で鶴丸があんまり助ける気がなさそうなのなんでかなーって疑問に思っていたので、良きでした。

 御手杵蜻蛉切結城秀康を怪我させない程度にやっつけようとしてるときも、他の男士がわりと見てるだけぽかったのが、必要があればフォローにいきますよーみたいに刀に手をやったり立ち位置を変えたりしていたのでそれもまたよかったです。

 不思議な力に取り込まれそうな村正に対する蜻蛉切のセリフが、あるときは叱りつけるように毅然としてたり、またあるときは、諭すように優しかったりと変幻自在なのでどきどきしちゃって心臓に悪かったです。

 

・その他

 三百年を経て人間ぽさを習得した村正の魅力とか、御手杵と貞愛の響きが音にしたがう歌はむすはじとなんか関係あるのかとか、色々しゃべりたいんですけど、とりあえずここまでにします。福岡公演も楽しかったー。観劇できて嬉しいです。

 あ、第二部で鶴丸さんの踊りがすごく元気いっぱいなのがすごくミュ本丸の鶴丸ってかんじでかわいいのと、鶴丸さんのソロの歌詞が「友のぶんまで生きる」ってなんか生命力にあふれているのもたいへん結構なものだなと思ったのと、篭手切江と一緒に明石と御手杵が歌って踊ってくれたの嬉しかったなっていうのと、二部の最初が蜻蛉切なの最高にかっこいいし、ダンスが軽快なので、一部とのギャップがキュートだよねっていうのと、それからそれからたくさんすてきでした!

 

 

おしまい!